介護職歴10年!辞めても戻りたくなる施設とは?2児のママが語る「ココ」であるワケ

介護職歴10年!辞めても戻りたくなる施設とは?2児のママが語る「ココ」であるワケ

特別養護老人ホーム『社会福祉法人桐仁会 かしわ園』。入所者様に合った暮らしの提供を実現しているところが魅力の施設です。職員の定着率は、なんと96%!どこにその秘密が隠されているのか…今回は「かしわ園」の相談員であり、ワーキングマザーである、平松明香さんにインタビューしてみました。

▲ 平松さんにとって、ここは、永く働きたい場所。

介護の世界に飛び込むきっかけは、高校時代の進路決定のタイミングだった。

平松「高校時代、具体的な夢がなかったんです(笑)
でも、進路を決めなければならなくて。
自分に合う仕事って何だろう…と順番に考えてみました。


サービス業が好き→人と人とが接する仕事が好き→子供とお年寄りどちらかに関わるならお年寄り→では、どんな仕事があるんだろう? この条件に当てはまる仕事は何か、インターネットで検索したところ、そこで初めて「介護職」という仕事を知りました。感覚としては「おじいちゃん、おばあちゃんを相手にするサービス業があるんだ!」という感じで(笑) それが介護職の最初の出会いになりますね。」

介護職を目指し、高校卒業後、介護系の短大へ進学。新卒で、とある施設へ入社することになる。

平松「新卒で2年ほどは、老人保健施設で働いていました。老人保健施設は、「自宅に戻ること」を目指し、病気や怪我のために病院に入院した方が、退院後、ご自宅に戻る前にリハビリなどを行い、自宅での介護を必要としない状態まで回復させることを目的としています。また、そのご家族の介護負担軽減も目的としています。病院から老人介護施設を経由して、ご自宅へ帰るという、病院とご自宅のつなぎの役割を担っている施設というイメージです。リハビリのお手伝いをしたり、レクリエーションを行ったり、施設としてはとても明るく、活気がありましたね。」

夢見ていた介護職だが、なぜ2年で辞めてしまったのか。それは、平松さんが感じる「違和感」だった。

平松「病院と自宅との中間施設ということもあり、入所様はかなり規則正しい生活をすることになります。当時、1フロアで50名の入所者様を、夜間帯は2名の介護職員で見ていました。介護職員で起床介助を一斉に行います。

例えば、朝食が7時半だとしたら、そこに間に合うように、早朝5時前に端っこのお部屋から順番に起床介助を一斉に行う。

入社1年半経過した頃、その「作業」に違和感を覚えるようになりました。自宅に戻る途中のはずなのに、実際は、自宅に戻れなくて、特別養護老人ホームの空きを待っているような方もいます。高齢なのに、早朝から業務的に一斉起床介助をされ、「かわいそうだな」と思うようになってきたんです。」

職員や施設がベースの介助ではなく、お年寄りに合わせた生活のサポートやケアをすることができる施設はないのかと、インターネットで再び検索を繰り返した。

平松「様々な条件で調べていくなか、現在働く社会福祉法人桐仁会のホームページ見つけました。求人情報などではなく、ホームページを見て直接電話しましたね(笑) 「ぜひ働かせてください」と。ここで働きたい!その思いだけでしたね。私の熱意が伝わって、現在に至っています。」

▲ 入所者様との会話ではいつもこちらが元気をいただきます。

相談員になるまでの紆余曲折

スタートは同法人「ちょうふ花園」での介護職。大変ながらも、充実の毎日をを送っていた。それから数年後、東日本大震災を経験することになる。

平松「当時のことは必死であまり覚えていないのですが、強い揺れが起こっている時は、ドアを押さえ、入所者様がベッドから落下しないか様子を確認したり、何とか守らなければと、その思いだけでした。震災があっても施設は24時間運営しなければならないんですが、交通が麻痺してしまっていたため、出社予定の職員は施設まで自転車で半日かけて出社することもありました。」

現在、平松さんが働く「かしわ園」は、震災直後に完成した施設。完成当時は、西日本からの毎日のように大型トラックで救援物資が「かしわ園」に集約され、老人介護施設ではなく、救援物資を運ぶため、東北までの中継地点のような役割を担っていた。

平松「施設長は、運ばれてきた救援物資の仕分けや積み込み、「かしわ園」と東北の往復で、休む時間もありませんでした。そんなタイミングで、私は挙式を控えていて…。施設長は、挙式にも参列予定で、祝辞を述べることも決定していたのですが、施設長には「私の結婚式には参列なさらなくても大丈夫です。ぜひ仙台へ行ってください。」と、そう伝えていました。状況が状況だったので、結婚式に呼ぶわけにはいかないと思ったんです。でも、時間を捻り出し、忙しくて、それどころではないはずなのに、参列してくださいました。感謝してもしきれません。」

その後、平松さんは出産のために退職をする。出産・育児休暇という方法もあったのでは?

平松「私は30歳手前で出産のため、一度この法人を退職しています。その後、2人の子供を出産しました。介護職=体力仕事です。妊娠を伝えると、施設長からは「デスクワークでいいよ」とおっしゃっていただきましたが、悪阻や子供の体調不良などでお休みをいただくことが予想されたので、施設のために迷惑はかけられない。そう思い、スパッと身を引きたいと思いました。」

出産・育児のため、3年のブランクを経て、再び復職することとなる。

平松「子育てが落ち着き始めた頃、 やっぱりまた働きたいと思うようになり、 施設へ連絡し、働きたい気持ちを正直に伝えました。再度、採用面接を受け、パートの介護職員として採用していただきました。」

パートの介護職員として3年が過ぎた頃、施設長より、ある言葉を掛けられる。

平松「再び現場で介護職をやることになったものの、当時パートという勤務形態で、この先の自分の成長はあるのだろうかと考えたことも正直ありました。この法人ではパートの次のステップアップは正社員になることです。でも正社員の介護職には夜勤があるので、主人や両親のサポートがあると言っても、幼い2人の子供を抱えて、夜勤はできません。では、ステップアップするにはどうしたらいいのか…。そう思っていたタイミングで、「老人ケアに携わって10年間のキャリアを活かして、相談員をやってみない?」と声を掛けていただきました。悩む理由はありませんでしたね。 「ぜひまた新たなことにチャレンジさせていただきたい」と、すぐに了承しました。」


「相談員」として、現場の経験は活かされているという。

平松「仕事柄、現在は入所者様よりもご家族と接することが多くなりました。相談員へとステップアップして、今後は現場の経験を活かして、現場の介護職員が働きやすい環境を作ったり、ご家族がスムーズに入所できるようにサポートしていきたいと考えています。現場を経験していなかったら、すべての業務が機械的になると思いますが、現場が長かったので、ご家族に何か質問をされても、具体的に説明することができています。」

「相談員」としての喜びは何なのだろうか。

平松「初めて相談に来る方や、特別養護老人ホームを知らないという方々も多数いらっしゃいます。相談を受ける際、親身になってお話を聞いていると、「話を聞いてくれて嬉しい」「何もわからなくて不安だった」「こんなこと聞いてもいいのかなと思って」など、不安を抱えたままいらっしゃる方の対応をしたときに、私と会話をする中で、少しでも抱えていた不安を取り除くことができた実感があると、良かったなと思います。

お申込みいただいている方の平均年齢は90代がほとんどです。相談にいらっしゃるご家族の方も、高齢になってきているので、インターネットで情報収集することは難しく、とにかくここに“飛び込んできた”ようなご家族が多数いらっしゃいます。ご家族とは、最低でも2回お会いすることになります。初回は見学、2回目は、施設を気に入っていただけた場合、お申込みいただきます。初回の見学の際、「この施設は一番評判が良いと聞いて来ました」と言われることも多々あります。自分だけの力ではないですが、やはりその一員として、とても嬉しく、誇らしく思いますね。」

▲ 職員を大切にする施設長のもとで、期待に応えていきたいと思っています。

勤続年数10年前後の職員が多いのはなぜ?

平松さんはこの法人が大好きだと言い切る。

平松「とても風通しがよく、働きやすい職場です。子育てしながらの正社員勤務ではありますが、周りのスタッフが最大限理解し、全面協力してくれています。子供の急な体調不良等で休まなくてはならない場合でも、気持ちよくカバーしてくれて、私はそれを仕事で返していきたいと強く思っています。介護職が好きだからと言っても、それだけでは続けることはできないと思います。やはり、人間関係も重要です。」

  • 「お年寄りの暮らしの場・生活の場」 という共通認識

平松「ここでは職員全員が「介護職が主役」であるという、共通認識があります。それだけでなく、看護職のスタッフ自ら、食事の介助など、積極的に介護のサポートをします。看護職全員が、「お年寄りの暮らしの場・生活の場」であるというスタンスだからです。」

  • 職種の主役は「介護職」である

平松「当然ですが、ここは病院ではありません。病院でなければ、看護師が偉いわけでもありません。入所者様のための職員です。ここでの職種での主役は「介護職」であり、看護職全員が、介護職を積極的にサポートするということは、ごく自然なことであると、皆が思っています。」

  • 看護職1人も残らず、全員がそのスタンス

平松「職員それぞれが、自分の立場や職務をわきまえ、職種の壁を作らず、職員全員が同じ志を持って働いています。施設の目的を理解し、全員で同じ方向を見て、同じ目標に向かって、ともに頑張ることができる集団です。介護職が看護職とともに協力し合いながら、のびのびと働くことができています。」

▲ 入所者様の”笑顔”のために、職員全員で制作した手作り駄菓子屋。扉も瓦も発泡スチロールなどで作られています。

相談員になって、まもなく1年を迎えようとしている。平松さんはこの先の未来はどう考えているのだろうか

平松「仕事と家庭のバランスを取りながら、長く働いて施設に貢献していくこと、これが現在の目標です。介護職10年、相談員も10年のキャリアを経たとき、また新たなステップアップを考えるかもしれないですね。とにかく今は長く勤めていくということが目標です。そのために、無理はしません。」

どうして長く勤めたいと考えているのか?

平松「短期間で退職してしまうと、施設に迷惑がかかるという理由も1つありますが、働いていると仕事が楽しくなってくるタイミングがあります。自身の場合は、それが、キャリアの半分の5年目くらい経過したタイミングでした。「大変なうちは絶対に辞めない」ということです。最初は仕事に慣れるだけでも苦しい…これは当然のことです。だから、まずはがむしゃらに頑張ります。頑張った先にある「喜び」や「楽しさ」「やりがい」を感じたいんです。」

施設長は職員へ「細く、永く、一緒にやっていこう」とアドバイスをしているという。

平松「だから無理をしない、スタートダッシュはしないんです。施設が望んでいるのは「長く働いてもらいたい」ということ。そこは裏切るわけにはいきません。」

ともに苦しい時期を過ごし、ともに乗り越えてきた仲間がいる。

平松「苦しい時をともに乗り越えた仲間が同法人のそれぞれの施設頑張っています。その仲間がいるというだけで、心強いし、あの苦しい時期を乗り越えることができたから、大丈夫!そう思うことができます。」

平松さんの長男はこの春、小学1年生になる。子供の話をする時は、やはり、優しい母の顔になる。“ワーキングマザー 平松”は、この先の未来で、子供の成長に負けないくらい、また新たなステップアップを目指し、”進化”していくのだろう。

▲ 入所者様の憩いの場。2ヶ月に1度、本格的なバーになります。

社会福祉法人 桐仁会 かしわ園: http://www.tojinkai.or.jp/

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