何よりも社員を大切にする愛情深さ。田垣代表取締役社長の今昔。

何よりも社員を大切にする愛情深さ。田垣代表取締役社長の今昔。

地下排水路のリニューアル工事をはじめ、様々な工事事業を手がけている『橘技建工業』。 その代表を務める田垣社長は、もともと土木業界に興味があったわけではなく、まったくの予想外だったと過去を振り返りました。

学生終了後は車の営業販売をしていた田垣社長は、金銭的にも、将来的にも違うことをしてみたいと思うようになり、土木業界に飛び込んだと言います。

田垣社長

「車の営業は1年半くらい経験しました。20歳くらいの時だったんですけど、中古車が結構売れてた時代だったので、その年齢にしてはいいお給料をもらってましたね。それでもまだ欲しいなって思ったのと、その時に阪神淡路大震災があって、人のため…じゃないけど、神戸に行けるならやってみようと思ってこの会社に入社しました。

そしたらSPR工法っていう特殊な工法をやっている会社だということを知って、だんだんこの工法に興味がわいてきたんですよね」

『橘技建工業』の元請け業者がSPR工法の特許を取っていて、そこから更に【自由断面工法】という新たな工法の開発が始まりました。その頃は田垣社長も大変な苦労を経験されたそうですが、田垣社長はそれを苦と思わず、むしろ面白さを見出すようになりました。

入社した頃の田垣社長は、とにかくがむしゃらに働いていました。小学校2年生から20歳までの12年間サッカーを続けていたことで、体力・忍耐力は人よりも自信があり、今では考えられないような働き方をしていたのだとか。

田垣社長

「自由断面をやり始めた頃は本当に苦労しました。全然うまくいかなくて。今でこそボタンを押すだけで素人でも操作できるけど、いっぱい研究して、現場でもがいて、やっとこの完成形ができた。その完成形になるまでがいろいろ考えてやってた期間だったから苦労しましたね」

こうして苦労を乗り越えてきた田垣社長ですが、『橘技建工業』に入社して5,6年目が経とうとしていた頃、本気で退職を考えた時期があったそうです。しかし、その理由でさえもネガティブなものではなく、常に先を見据えたものでした。

「本気で辞めようと考えていた」迷いの時期を乗り越えた先でつかんだ、代表という“夢”。

田垣社長は、代表や、経営者でなくとも2番手3番手になることを目標に働いていました。しかし『橘技建工業』には既にトップがいたことにより、このまま居続けても目指す地位には届かないかもしれない…という思いがあったそう。しかし、当時職長を任されていたこともあり、他の社員たちの状況を考えると辞めるに辞められないというジレンマに陥っていました。

田垣社長よりも長く勤めている方が他にも4名いらっしゃったなかで、田垣社長が代表取締役社長に選ばれた理由を、こう語ってくれました。

田垣社長

「僕は手がかからなかったんだと思います。勝手にやって勝手に進めて、最後に報告だけする。もちろんそれで失敗する時もありましたけど。社員が大勢いる会社だと、内容が小さくても、一人ひとり確認するのも時間がかかるじゃないですか。だからこっちで進めたほうが、負担にならない。先代の社長にはあまり相談したこともなかったですし、人間関係も自分で解決してきましたね。

言われるよりも先に“気づくこと”を大切にしていました。」

こうして、念願の代表取締役社長の座をつかんだ田垣社長。代表になり、なにか変わったことがあったかを訊ねてみると、

田垣社長

「社長って雑用係だな、と(笑)

見えない仕事を永遠にやって、いつ帰れんの?って時もあるし、あとは従業員とのギャップもすごいです。現場には行ってあげたいけど、行けば他の仕事が疎かになってしまうし、現場から帰ってきた社員には『こんな涼しい・暖かい部屋で仕事ができていいな』って言われるし。

変わったところではないけど、そこがなってみてはじめてわかったことですね」

と、笑みを零しながらお話ししてくださいました。

地下でどんなことが繰り広げられているのかを教えていただきました。

社員の健康を誰よりも願う。“普通”であることの幸せ。

話を聞いて見えてきたのは、田垣社長の社員に対する愛情深さでした。

会社を経営するにあたり、田垣社長が何よりも大切にしていること。それは、社員たちが“普通に暮らせる”こと。

田垣社長

「普通に暮らすことが当たり前で、その“普通”に幸せを感じてほしいです。普通を維持しておくっていうことが、一番大切なのかなって。仕事もそうですし、体の部分、健康面だったり。

昔は社員にもっと潤ってほしいと考えていたんですけどね。でも『潤っている』という感覚は人それぞれなので。だから、会社としては普通に暮らせることの幸せを提供してあげたい。その上でもっと稼ぎたいとか、今の暮らしを安定して維持していきたいというような選択を従業員自身ができるようにしたい。

社員が一番だから、自分はどうでもいいんです」

社員の“普通”という土台づくりに尽力する田垣社長は、何よりも社員の健康を願っていました。

田垣社長

「うちは健康にうるさいです。自分含めて、先代からそう指導をうけてました。健康じゃないと働けないし、働けないと収入もお金もなくなっちゃいますしね」

『橘技建工業』は社員のために寮を完備していますが、その寮にも、社長や会長の愛情が表れていました。

『橘技建工業』は日給月給制ですが、寮の1ヶ月の家賃は1日働けば支払える程度。また、当初はお弁当屋さんを頼んで賄いを用意することも考えたそうですが、会長と話し合い様々なことを吟味した結果、お米を支給するという少し変わった福利厚生が確立しました。寮の食堂にはフライパンや鍋、炊飯ジャーも完備されているので、自身で料理をすることもできます。

田垣社長

「寮に入るまで料理をしたことがない社員もいたり、普段から趣味のように料理をする社員もいたり、いろんなタイプの人間がいるんですよ。料理をしなかったけど料理が好きになったり、料理がストレス解消!なんて言い始めたり。その設備が整っていれば、自分たちでやりたいようにできますからね。色々な案を考えましたが、結果良かったと思いますよ。あとは私が作るという手もあったんですけどね。それで食中毒になるのは勘弁ですからね(笑)」

社員を大切にしていきたい理由。

様々なアイデアがうまれるのは社員を大切に思うからこそ。社長自ら社員へ声を掛けて関係構築をする努力をしています。

田垣社長

声掛けすることを心がけています。あとは顔色を確認すること。やっぱり社長とは話しにくいと思うんですよ。現場に出ているときは仕事のことなど何だかんだ話すことはあるんだけど、事務所に戻ってくるとちょっと距離感を感じるというか。社長と社員だから仕方のないことなんですけど。だからあえて自分から声を掛けて、会話をするようにしていますね。たとえば仕事のこともそうですし、プライベートの話もよくします。子どもがいる社員も多いので、進級進学のことや、習い事どうしてる?とか。私も子どもがいるので、そういう会話も楽しいですよ。

十分アットホームな環境だと思いますが、もっともっと全員がフラットに関われるような環境を作りたいと話します。毎年夏にはバーベキューをしたり、横のつながりも大切だと考えていらっしゃいます。社員を大切に思う中、感謝の言葉を聞くことができました。

田垣社長

大変な仕事かなとも思います。世の中、楽な仕事はないですけどね。(社歴が)長いメンバーも結構いるんですよ。本当にありがたいですよ。感謝しかないです。どんどん新しい仲間も増えて、もっともっと私も成長していかないとなって。これから先も長く勤めたいと思えるような会社にしていきたいですね。

最後にこんなメッセージをいただきました。

田垣社長

“役に立っている”という素晴らしさを実感してほしいですね。下水や電気、ガスもそう。影の仕事ですよね。むしろ「汚い!」なんて言われることもあるでしょうね。でもこれがないと生活ができないんです。世の中の皆さんがこの仕事をできるかと言ったらできないですよね。マンホールの中でどんな仕事をしているか、地下でどんなことが起きているか。その仕事をしている自分は胸を張って誇りを持っていますと言えます。うちの社員もみんなそうです。これから仲間になる方にもその喜びを感じてもらいたいと思いますし、誇りを持って仕事をしてもらいたいと思います。すごくカッコいい仕事ですから。

田垣社長のモットーは社訓でもあります。

普段生活をしている地上では見えないところでの仕事。当たり前のように生活ができるのは、田垣社長のような“地下のヒーロー”がいるからこそ。マンホールの上を歩くとき、“地下のヒーロー”にぜひエールを送ってみてください。

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